府中市美術館「高松次郎−思考の宇宙」
2004年8月14日 展覧会レビューコミケ2日目も諦め、昨日行こうとした美術館へ。
ある研究会に所属しているのだけど、そのつてでもらったチケ。
ようは課題(笑)
昨日メーリングリストで明日府中行きませんか。っていうのが流れて。おお、これがあったから、昨日は行く気がしなかってんな。と納得してみたり。
しかし、まあ、芸大生の時間感覚は並外れてズレとるので、結局時間どおりに集まったのは、半分の2人でした。まーこんなこっちゃろーとは思っていたが(笑)いいかげんしっかりしようよ。ネー。
ということで、高松次郎。ハイレッドセンターの一人。他の2人は健在だけど、高松さんは98年に死去されております。
私の個人的なつながりとしては、国立西洋美術館(吹田市)での常設のというか、地下のトイレの壁に描かれた、影の作品。これは幼心にスゲーと思っていたもの。まあ単純に面白いし。
今回の展示では、導線どおりに行くと、2つ目のセクションで影が扱われていた。キャンバスに描かれた影はどうしてもフチに囲まれてしまい、どうもやりきれない感じ。鑑賞者の足元から忍び寄るような影の存在が確認できる部屋やトイレの壁の方がおもしろいなと。
ここで表現しようとした、「不在」というキーワードについては、ちょっと頭でっかちかなという感じもあった。影があると存在を意識してしまう。私が以前、存在を写すために撮った写真は、自分の影の写真だった。「存在」からその場所に影響が与えられ、影が浮かぶ。
その後のセクションの遠近法などは、トリックアート的なおもしろさにはまってしまっていた感じがし、表現としてはあまり見出せなかったが、この実験の先の展開を見るとこの時期が生んだ下地は貴重に思えた。
「単体」→「複合体」への進み方、無機質な構成的絵画、そして最終的な「形」への発展。これは、無機的だった1つの細胞が最終的に人間となるような、そういう進化に思えた。最後の「形」達はとても人間的で愛らしく見え、さらに、その中に確かなこれまでの軌跡が見て取れるものになっていた。グレーで描かれた人影の主が最後には画面一杯に広がっている。というのは、よくできすぎた話かな。
1つ、気になったのは、
abcを順番に書き、次にaa、ab、ac、というようにつなげ、次にaaa、aab、aac、というようにつなげていく、まだ終わっていないというような作品。
これは、たぶん同じものが、ダン・グラハム展(千葉市美)でも見られた。どっちが先かとかは確認していないけれど、多分世界中に同じものがあふれたんだと思うわ。
あと、この美術館について、一言。
いや、導線の取り方がわかりづらすぎました。以上。
http://www.art.city.fuchu.tokyo.jp/
高松次郎―思考の宇宙
TAKAMATSU Jiro : Universe of His Thought
6/26-8/15
ある研究会に所属しているのだけど、そのつてでもらったチケ。
ようは課題(笑)
昨日メーリングリストで明日府中行きませんか。っていうのが流れて。おお、これがあったから、昨日は行く気がしなかってんな。と納得してみたり。
しかし、まあ、芸大生の時間感覚は並外れてズレとるので、結局時間どおりに集まったのは、半分の2人でした。まーこんなこっちゃろーとは思っていたが(笑)いいかげんしっかりしようよ。ネー。
ということで、高松次郎。ハイレッドセンターの一人。他の2人は健在だけど、高松さんは98年に死去されております。
私の個人的なつながりとしては、国立西洋美術館(吹田市)での常設のというか、地下のトイレの壁に描かれた、影の作品。これは幼心にスゲーと思っていたもの。まあ単純に面白いし。
今回の展示では、導線どおりに行くと、2つ目のセクションで影が扱われていた。キャンバスに描かれた影はどうしてもフチに囲まれてしまい、どうもやりきれない感じ。鑑賞者の足元から忍び寄るような影の存在が確認できる部屋やトイレの壁の方がおもしろいなと。
ここで表現しようとした、「不在」というキーワードについては、ちょっと頭でっかちかなという感じもあった。影があると存在を意識してしまう。私が以前、存在を写すために撮った写真は、自分の影の写真だった。「存在」からその場所に影響が与えられ、影が浮かぶ。
その後のセクションの遠近法などは、トリックアート的なおもしろさにはまってしまっていた感じがし、表現としてはあまり見出せなかったが、この実験の先の展開を見るとこの時期が生んだ下地は貴重に思えた。
「単体」→「複合体」への進み方、無機質な構成的絵画、そして最終的な「形」への発展。これは、無機的だった1つの細胞が最終的に人間となるような、そういう進化に思えた。最後の「形」達はとても人間的で愛らしく見え、さらに、その中に確かなこれまでの軌跡が見て取れるものになっていた。グレーで描かれた人影の主が最後には画面一杯に広がっている。というのは、よくできすぎた話かな。
1つ、気になったのは、
abcを順番に書き、次にaa、ab、ac、というようにつなげ、次にaaa、aab、aac、というようにつなげていく、まだ終わっていないというような作品。
これは、たぶん同じものが、ダン・グラハム展(千葉市美)でも見られた。どっちが先かとかは確認していないけれど、多分世界中に同じものがあふれたんだと思うわ。
あと、この美術館について、一言。
いや、導線の取り方がわかりづらすぎました。以上。
http://www.art.city.fuchu.tokyo.jp/
高松次郎―思考の宇宙
TAKAMATSU Jiro : Universe of His Thought
6/26-8/15
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